私には明日という日が遠すぎる

私には100年後と同じ

私が19歳の時、
明日があることが信じられませんでした。

「もしも明日が来たら?」

当時の私にとって、明日という日は
100年後の明日と同じくらいの感覚でした。

もしあなたなら、
100年後の明日に
いったい何を望むでしょうか?

100年後の明日に
いったい何を期待するでしょうか?

私には毎日が
「今日が最期の日」なのです。

しかし、周りの人には
明日は100年後では無く、明日のまま。

明日の約束をするとき
私がどれほど心を痛めていたか
誰も知るよしもない話しだよね。

声を振り絞って
「生きていたら行くわ」
っていうのが精一杯だった。

繰り返される呼吸停止

なぜ、今日が最期だったのかというと

最初の1ヶ月くらいは
1時間に2回~2時間に1回、
呼吸が停止し気を失っていました。

ちなみに、寝ているときではなく
起きているときにも発生します。

集中しすぎて息をするのを忘れるような
そんな感じで、いつの間にか止まっています。

目が飛び出しそうな脈動する
猛烈な頭痛とともに目が覚めます。

呼吸停止中に息を吸おうとしても
自発的な呼吸はまったく出来ません。

喉に異物があるわけではないので、
しゃがむと肺が圧迫されて空気が外に出ます。

立ち上がれば、内臓の重みで肺が引っ張られ
肺の中に空気が入っていきます。

ただ、息を吸おうと思っても出来ない状態。


それとね、あれから30年たって
『息を止めると苦しい』事を知りました

その頃は、5分くらい息を止めていても
血圧や心拍数が上がるとかも無かったんです。

まったく、息苦しさすら感じないので
気を失って目覚めるまで気がつかなかったのです。

呼吸停止による記憶障害

その当時は、おそらく10分以上は
呼吸が停止していたんだろうなと考えていました。

1日に何度も
成層圏で高地トレーニングしてるようなもので
赤血球量がやばいレベルで増え、狭心症にも。

ドロドロとした血液を大量に送り出すために
心臓も肥大して、安静時は脈拍32でした。

昭和の回転式肺活量計では
7L以上でかなり余裕があった。

10年後のデジタルでも、
11Lという驚異的な数字。


しかし、脳にダメージがあるほど
呼吸停止していたことが、30年経ってわかります。

息を止めると苦しい事がわかったのと同じ頃、
昔の記憶が、ところどころ蘇ってきたんです!

道理で昔のことを、
あまり覚えてないと思ったわ。

もともと過去を振り返る事が無かったし

覚えていない記憶は
存在していないのと同じなので
思い出そうとさえ考えませんから。

しかし、蘇った断片的な記憶によって
恋人の気持ちを裏切っていたことを知り
重度の鬱病になってしまいました。

この世で一番に愛する人のことさえ
ちゃんと見てなかったダメなヤツだと。

原因は交通事故だった

この呼吸停止となる原因は、交通事故によって
脳幹部分が傷ついた事だと考えています。

完全な脳幹損傷状態だと死んでるけど

USBケーブルが断線した時みたいに
繋がったり、切れたりしてる感じかな。

切れている時間が長いと
いまこうして記事を書いていません😅

事故後、簡易な脳CTでは発見できず
若かった私は、それ以上、調べませんでした。

というよりも、病院に拘束されて
時間を失いたくありませんでした。

だって、
今夜も生きてる保証無いんですよ!

入院して、検査が何度も続けられ
「普通、死んでます」って言われながら
病院の中で、ただただ寝て時間を過ごすなんて。

優しいお姉さんが救ってくれた

事故後約1ヶ月は入院してましたが、
意識を保っていられた時間の方が短かったし
感情が高ぶって押さえられないこともあった。

その時に、病院の美人受付嬢がしつこく、
何度も長時間、話しかけてくれなかったら

恋人の記憶を丸ごと失っていた私は
いま、こうして生きていなかったかも。

実際、話しをしている最中も呼吸停止し
意識を失いかけることが何度もありました。


はっきりとは思い出せませんが
「何かがおかしい」と、その時感じていて

なにか「大事な約束」をしていたような
理由のわからない焦りを感じていたと思います。

今にして思えば、女神降臨ですかね😍

その受付嬢が現世に引き留めてくれたから
私は、あっち側に行かずにいられたように思えます。


退院する頃には、
1日6回くらいの呼吸停止の頻度
でした。

長くなってしまった北海道旅行の後、
横浜のアパートで一人暮らしの再開です。

寝てる時間がとてもとても惜しい

この当時の私の平均睡眠時間は「1.5時間」。

呼吸停止は、気が緩んだときや
何かに集中しすぎたときに起きやすかった。

という事もあるのだけれど、
もともと強かった知的欲求が
この事件で押さえられなくなっていました。

30分も目をつむっていると
もういても経ってもいられません。

人生の目的なんてないし
何かを目標にしていたわけでも無い。

でも、何かしなくちゃって
ただただ焦燥感と知的欲求だけでした。

私には明日は来ない

それとね、やっぱり1時間も寝ていれば
呼吸停止して、あの頭痛に襲われて目覚めます。

【痛みを感じるのは生きてる証拠】

ああ、まだ生きてるんだな。と。

この話しを誰かにするのは
実は、今回が初めてなのです。

これは妄想でもフィクションでも無く
信じてもられるかも考えてません。

ただね、1つだけ
年齢を問わずに伝えたいことがあります。

【死を覚悟して頑張りましたか?】

私は明日が来ないと理解していたので
どんな事にも必死だし、真剣でした。

人間関係もド直球の会話で、
まっすぐ相手の目を見て真剣に話します。

※このことに関しては話しが膨らみ
 本件と外れるので別の記事にします。

死を身近に感じない

しかしですよ、死を体験したことも無く
死を身近に感じることも無い日本で

『死を覚悟』なんて出来ないですよね?

だって「明日は必ず来る」って信じてるよね?

私はこの呼吸停止から10年後に
今度は心肺停止状態となります。

この時にも不思議なことが起きました。

そして、生と死の狭間で生きていたとき
スピリチュアルな数々の体験をしました。

たぶんね、

明日は必ず来るって信じて
今日、死ねた人は幸せだと思います。

ただ死んだときに、あの世で

「この人生に悔いは無いか?」
「未練は残っていないか?」

そう問われたとき、どう答えますか?

私の答えは決まっていました。
「後悔などまったく無い!」

それはともかく、死を覚悟しなくても

絶対に達成するんだという『決断』と
成功するまで諦めない『覚悟』は
目標達成のとても強い力となります。


最後までぶっ飛んだ話を
読んでくれた方に、ほんと深く感謝します。

生きて、こうして記事にしてなければ

そしてこの記事を読んでくれている方があって
私が生きていた意味もあるというものですから。

どんなことでも、
感じたことがあればコメントください!

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記事を書くモチベーションになります。

それでは
次回の記事をお楽しみに♪